相続トラブルイメージ

祖父の相続の品としてもらったもの

母方の祖父は、私が社会人になって4年目の時に亡くなりました。
享年は90歳近い年齢で、死因も老衰だったので、あまり苦しまずにすんだことが悲しいながらもせめてもの救いでした。
祖父は優秀な成績で高校を卒業後、役場に勤めていましたが、お兄さんが戦争で亡くなってしまったために仕事を辞めて稼業(酒屋)を継ぐことになりました。
今の時代、自営業よりも公務員のほうがどう考えても職業としては安定していると考えますが、当時はあまりそうではなかったようです。
特に酒屋は裕福な家というイメージがあり、小学校へいけるだけありがたいとか、中学を卒業したら働きに出るのが当たり前の中、さらに上の学校へ進学できるというのはとても贅沢なことだったようです。
祖父の生きてきた約90年の間に日本という国の価値観や経済状況、人々の生活水準は目まぐるしく変化していったわけですが、酒屋の店主になれば生活には困らないといった考えは、当時では一般的だったようです。
兄の死がきっかけで酒屋の主となった祖父は、実はとても後悔していたそうです。
本当は役場の仕事が好きで、辞めたくなかったらしいのです。
子供だった母や母の兄弟たちは葛藤している父の姿をいつも遠目に見ていたといいます。
繊細でピリピリとしていて、時にいたずらをした子供たちを小屋に閉じ込めたそうです。
家の外でアンパンを立ち食いしていた母は、祖父に見つかって「お行儀が悪い」と叱られたこともあったそうです。
当時のことを懐かしそうに話してくれた母ですが、4人兄弟のうち兄2人は早くに亡くなってしまいました。
二人とも病死です。
祖父や祖母がどんな気持ちだったのか、子を持つ母親となった私にも少しは慮ることはできます。
残った子供である叔母と母は、それぞれ嫁いだため孫はいても自分の姓や家、家業を継いでくれる人がいなくなりました。
叔母は遠方に住んでいるため、会えるのは年に1度か2度ほどです。
比較的近くに定住していた母は、よく私を連れて稼業を手伝っていました。
祖父は、小さな私を自転車の荷台に積んだビールケースに乗せて、配達に連れて行ってくれました。
いつもにこにこしていて、行くたびに「おおきくなったね」といって抱き上げてくれた祖父のことが大好きでした。
そんな祖父が亡くなった時に、母が形見分けとしてくれたのは「孫の手」でした。
これは私が修学旅行の時におみやげとして祖父にプレゼントしたもので、それから10数年たってもずっと大切に持っていてくれたのです。
唯一「相続の品」として戻ってきた孫の手は、今も祖父の明るい笑顔を思い出させてくる大切な宝物です。

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